うわっつら
叔母さんに行商をしていた頃のおばあちゃんの話をきいた。
東京の奥様方は見てくれの悪いまがったきゅうりは買わない。
同じ重さで運ぶ労力を使っても、曲がっているだけで、安くされてしまう、ならば、
曲がった部分で半分で切って、ぬか漬けにして売ったら高く売れたそうだ。
手作りのお餅は大好評で、多く売りたくても運ぶのに限界がある。
おじいちゃんが駅までピストン輸送で、何度も往復をしたそう。
その昔、行商とは現金獲得の意味があったのだという。
サラリーマン兼業農家で引き継いだ20そこそこの孫が
家紋の入ったちょうちんを持つ主の役目も、
お米の作り方もいつの間にかちゃんと引き継いでいる。
売っているお米は虫がつかないこと、
作ったお米は美味しいこと、食べてもらえばわかること。
色んな事を知っていた。
私は、頂いたお米も、おばさんの梅干も、柿も、栗も、当たり前すぎてわからなかった。
現金のありがたみを考えたことなんてなかった。
そう気がついたら、利益が一番!といいながらサラリーマン仕事をして
運用という名前で、現金を転がして、現金を得ている自分がとってもうわっつらのように感じた。
時代が違う。
けれども、何か気がつかされた気がした。
新聞を読んで、経済をわかったつもりになったところで、
現実に商売をしている人とは、重みが違う。
運用で得た利益は現実だから否定しないけれども、
何かココロが欠けている気がした。
幼少時、海外に住んでいたのを心配してか、おばあちゃんは、新聞の隅から隅まで読み、
外国の記事があると、わからないながらも、一生懸命読んでいたという。
私からの手紙を嬉しくて、近所の人に見せてあるいていたいたら
普通、「山形のおばあちゃんへ」とか「長野のおばあちゃんへ」とかなのに、
「日本のおばあちゃんへ」と書いてあったので、「国際的なおばあちゃんだねー」
といわれていたんだそう(笑)
私は覚えていないし、初めて聞いた話。
8月1日に、おばあちゃんが夢にでてきた。
夢で「また来よう、今度は車で」と思ったので、その通り、お墓参りをしてきた。
こういう事を伝えたかったのかな。
何をやるにも、うわっつらでなく、一生懸命生きなきゃ、と気がつかされたお盆休み。