東日本大震災から約1年。被災をした方々には比べ物にならない話だが、「二人の子育て」と「放射能を気にする生活」という二つの新しい体験の中、手探りであっという間に過ぎた一年だった。もうすぐ復職。記憶が薄れていかないうちに書き留めておく。

2011年3月11日14:46
その地震はFOXでGOSSIP GIRLを見ている最中に起こった。
下の子が1月に生まれ、上の子を連れて茨城の実家に産後の里帰り居候をしていた時の事だった。まだ3時間おき授乳の中、唯一の息抜きとして、リビングでGOSSIP GIRL を毎日見ていた。今日のストーリーも終わりという頃、小さな縦揺れを感じた。「地震だ」。床に座っていた為、すぐに気がついた。すぐに横揺れに変わり、ある程度以上の横揺れになった時、瞬間的に「ヤバイ!!走って!!」と家の外に飛び出した。自分は、0歳児を抱っこして、母親には、2歳の上の子を連れ出してもらって。

家を出て数歩、一軒後ろの家の方から、「バンッ!!」という聞いたことの無い大きな音がした。何かが爆発したのかと思った。道路に出て、家のはす向かいの、浄水場の方へ出た時、再び大きな横揺れがきた。周りの戸建住宅全てが生きているみたいに、ガタガタと音をたてていた。高い建物がないから、と近づいた浄水場のフェンスまでもがぐにゃぐにゃと大きく揺れ、電信柱と電線が今にも倒れてきそうな勢いで大きく大きく揺れた。外にいても身の危険を感じ、電柱も何も無い、土手近くのバス回転所に移動し、思わず座り込んでしまった。周りにも上にも何もない、屋外の地面の上にいるのに、立っていられない程の揺れ。地面も空も大きく揺れて、空がおちてくるんじゃないかとさえ感じた。

落ち着いて家に戻りTVを地上波に切り替え、しばらくすると、ヘリからの津波中継が入るようになった。とんでもない映像だった。真っ黒な津波から逃げ惑う車の数々。テレビを見ながら、思わず「ああ!!そっちへ行っちゃダメ!!」と声に出してしまった。たくさんの車が津波に追われて、おそらくこのまま飲み込まれてしまう出あろう人の生死に今まさにかかわる瞬間の映像をLIVEでTVで見るなんて!!津波は海岸線と完全に平行には来ない。ヘリからの映像では、どの方面から津波が回り込むか、どちらへ逃げれば良いか一目瞭然でも、運転者には、見えるわけがない。上空からは見えるだけに、奇跡的に今写っている車の人が、車のTVをつけて、自分を見つけて!と無茶なことを祈るしかできなかった。

東京で仕事中の旦那さんからはメールで無事との連絡が入った。筑波大で入院中の父からも無事との連絡が入った。上の子はたまたま保育園は休み、私も下の子も、母も家にいたため、安否の確認には手間取らなかったのは幸いだった。

上の子は、いつもは保育園だが、この日は中耳炎で休んでいた。前日(3/10木)保育園で耳が痛いと訴え、帰り道に近隣の個人病院の耳鼻科へ行ったが、初めての中耳炎だった為、長引かせない為にも、最初が肝心、治療は完治を目指して、と、11日(金)の午前中は、総合病院の耳鼻科と小児科へ出向いて園を休んでいた。

翌12日(土)、朝一で近所のお店に買いに行くと、ガソリンスタンドに車数台が並んでいるのが見え、すぐにピンときて、私もガソリンを満タンにした。買い物から帰る頃には、車は長蛇の列となり、その後しばらくは、どのスタンドも、売り切れで閉まっていた。お店では、水とパンを買い求める人であふれかえっていた。その近辺では地震で断水しており、水が無くてもすぐに食べれるパンと缶詰を皆一様に買い求めていた。

その後、原発のニュース。見てすぐに、最悪の場合、逃げなきゃいけなくなるかも、と感じた。