ツマンナイ。

明日から、旦那が初海外出張。
たった2日間だけど、帰ってきても、だーれも帰ってこないんだぁ。と思っていたら、


「寂しい?」
と聞かれて、思わず出た言葉が
「ツマンナイ。」


「俺はおもちゃじゃないゾー」だって(笑)


私はあんまり、こういう事を言わない。
だから、ぽろっと出たこの言葉が、これ以上ないくらい率直にあらわしていると思った。


先に寝てしまっても、後から誰かが帰ってくる安心感。
一人でご飯を食べても、後から誰かがくる安心感。
おんなじ一人でも、ぜんぜん違う。


大学時代、一人暮らしの友人が私に言った。
自宅の人には、わからないよ。
その、彼女は、早くに結婚して、家族を作った。
こういう事を言っていたのかもしれない。


年をとった夫婦が、先にどちらかが亡くなってしまったら、それはそれは、毎日が、ご飯をたべるのも、生活をする一個一個の行動が、
ほんとうにシンプルに「ツマンナイ」の一言になってしまうのだろうと想像された。「ツマンナイ」の連続に、いろんな思惑が加わって、大人な便利な表現として「寂しい」という感情になるんだろうか。

ご飯を食べる人が何バージョンが写ったDVDがあるらしい。食卓にモニターをおいて、食事のときに一緒に流すとか。その行動自体が聞いただけで、恐ろしく寂しい。けど、そういうものが売れる世の中なんだ。
核家族で高齢者が増える日本。
簡単に言えることではないけど、ツマンナイを味わう人を増やしちゃいけないね。


そして、日々の生活が永遠の「ツマンナイ」の連続でない事に、
一緒にいることができる家族みんなに、日々当たり前で忘れがちな感謝を、たまにはしようね☆